祭りの夜






 それは、真夏の夜の夢だったのかもしれない。

 夏の暑さと、夜の闇が見せた幻。

 生ぬるい風と、淡い光の残した残像・・・・・。

 でも、その夢が、20歳を過ぎた今、私が私の道を歩き出すきっかけになってくれたことは確かだ。

 そう、あれはちょうど、5年前の高校最初の夏休みの時―。




「おばあちゃん、早く行こう!」

 私は玄関から家の中へ向かって呼びかけた。

「はいはい、今行くよ」

 小さいけれど力強く、優しい声がして、奥からおばあちゃんが出てきた。

 おばあちゃんが靴を履くのを待って、私は玄関から飛び出した。

「うわっ、あっつ〜い!」

 太陽の陽射しの強さに、私は思わず顔をしかめた。

「ふふふ、今が一番暑い時間だからね。夕方には涼しくなるよ」

 そう言うおばあちゃんはと言えば、さほど暑そうでもなかった。

「でも、私の街みたいにじめじめしてないから、気持ちいいな」

 おばあちゃんの顔が微笑むのを見てから、私は周囲に目を向けてみた。

 まず、目に入るのは田んぼ。

 今が一番青々としている時季で、目一杯太陽の恵みを浴びようと、稲が真っ直ぐと天を指している。その稲たちの間を、あいがもたちがせわしなく動き回る。なんでも、害虫を食べてくれるので農薬を使わずにすんで、環境にも優しいらしい。

 次に目に入るのが、周りの山や林だった。

 都会では考えられないくらいに、山が近くに迫り、林もずっと広がっていた。そしてその林の中からは、都会とは違った鳴き方をするセミがたくさんいるのが分かった。

 後はこれといって、目に付くものはなかった。

 一言で言ってしまえば、何もない所。でも私は、おばあちゃんが住んでいるこの町が好きだった。こうして毎年のように、夏休みに遊びに来るのも、その為だった。

 おばあちゃんの家を出てから20分ほど歩くと、段々と人の数が増えてきた。浴衣の人も多く、みんな顔が明るい。そう、今日はこの町の神社でお祭りがあるのだ。そしてそのお祭りも、私がこの町に来る理由のひとつになっている。

 やがて、道の先が林にぶつかり、そこに鳥居が立っているのが見えてきた。もうだいぶ人が増えてきていて、子供たちのはしゃぐ声で、騒がしさも高まっている。そして、私の心も、だんだんと高揚してきていた。

 鳥居をくぐると木のトンネルが続き、途中から百段余りの石段になった。その石段を上りきると、少し開けた場所に出た。

 まだ太陽は高い位置にあるというのに、もう屋台が出揃い、人も多かった。

 平均年齢が低いのは、夜になると電灯もろくにないのでとても暗くなってしまい、小中学生は早い時間に来るように学校から言われているせいらしい。

 本来なら私は、もっと遅く来てもいいのだけど、私にはそれすら待ちきれなかった。私にとっては見ず知らずの人たちばかりだけど、町の人みんなで祭りを創り上げていこうとしている姿が、とても好きだから。

 こんなことは、私のクラスでは多分ないことだと思う。それは、夏休みに入る前の数ヶ月だけで十分すぎるほどよくわかった。まだこれといって仲の良い友達が私に出来ていないこともあるかもしれないけれど、クラスでの話し合いでも、半数以上がマジメにやろうとしないし、そのくせに文句はとても多い。そして、大変そうなクラス委員を、黙って見ているだけの私・・・・・。

「ユウちゃん、どうかしたのかい?」

 ハッと我に返ると、おばあちゃんが私の顔を覗き込んでいた。

「ううん、何でもないの」

 私は笑って答えると、おばあちゃんと手をつないでたくさんの笑顔の中に紛れていった。




 ようやく日が傾いて、子供たちの声が段々と減っていく。それに反比例するかのように、お囃子の音は大きくなっていた。

 これからは、大人の時間だ。さっきまでのように、騒がしさはない。けれど、とても華やかな時間。

 私と同じくらいの高校生も多かった。みんな、私の街の高校生と違って、輝いた目で、心の底からお祭りを楽しんでいる。

 ―私とは、みんな何かが違った。

 段々と、この場にいるのが辛くなってきた。友達がいないからとか、そういう理由じゃない。おばあちゃんがいてくれれば十分だったし、その方が良かった。

 でも・・・・・。

 ―でも、この場の空気を、私は好きになれなかった。いや、この場の空気が、私を嫌っているようだった。

 私は、おばあちゃんに訊いた。

「ねぇ、おばあちゃん。私、一人で見てていい?」

 笑顔を作った。けど、それは笑顔とは到底呼べない代物だったと思う。

 けれどおばあちゃんは、いつもの優しい笑顔で―全てを知っているような、見る人を安心させる笑顔で、

「えぇ、行っておいで」

 と、言ってくれた。

 私はきびすを返すと、じゃあ、後でねと言い残して、人混みの中に紛れ込んだ。

 鳥居の所にいるから、と言うおばあちゃんの声が、私の後を追ってきた。




 襲いかかってくるような闇の中を、屋台の人に点けてもらった提灯の灯りで足下を照らしながら歩いていた。

 神社の裏手には、お祭りの明るさも届いていなかった。けれど、音だけは私の耳に弱く響き、それがより一層に私の孤独を際立てていた。

 提灯のかす微かな光を頼りに、石や木の根に足を取られないように歩いた。

 目からの情報が少ない分、自分の足音と、フクロウの声、木々のざわめきがいつも以上に感じられる。

 闇はいまだに私に襲いかかり、今にも異世界に引きずり込まれそうな所を、夏の暑さだけが何とか押さえてくれていた。

 2・3分歩いて、一本の大きな樹が現れた。この神社の御神木の、ブナの樹だった。

 普通であればこんな裏手に御神木があるなんてことは変だけど、この神社では、昔からこの場所に御神木が立ち、神社が村に近い場所に移されたため、こんなことになってしまったらしい。

 私は、森のおさ長のようなこの樹が好きだった。

 もう何百年もの間この地に立ち、根を張り、葉を広げ、全てを見守ってきたブナの樹。私なんかとは比べ物にならない程の大きさ、力強さ。

 この樹に触っていると、どんなことでも些細なことに思えてしまう。そして私自身が、いかにちっぽけであるかも・・・・・。

 ―私は、御神木の根本に腰を下ろした。そして、耳を当てる。

 力強く水を汲み上げる音が、私の中に流れ込んでくる。母親の胎内のようなその音に、しばらく耳を傾けていた。

 ―ふと気が付くと、さっきより明るさが増していた。朝になったのでは当然なかった。私の―と言うより、御神木の周りだけが明るくなっていたのだ。

 私は付けていた耳を離すと、辺りを見回した。すると、御神木の陰から、提灯が現れた。

「何してるんだ、こんな所で?」

 提灯の持ち主は、私を見るなりそう訊いた。

 歳は私より一つか二つ下だろうか?短く切った髪と日焼けした顔が印象的な男の子で、私の街ではまず見かけることのない―早く言ってしまえば、田舎の少年だった。

「あなたは・・・・・誰?」

 私が不審に思って訊くと、彼は不満そうに、

「俺が訊いてるんだけど」

 と言った。

「人に何か訊くのなら、まず名乗るのが先じゃないの?」

 私は彼の言い方に少しカチンときたけれど、何とか平静を保って反論した。

 何か言ってくるかと思ったけど、彼は意外にあっさりと、

「それもそうか」

 と頷いた。

「―俺はキョウヘイって言うんだ」

「私は・・・・ユウコよ」

 私が少しためらいがちに言うと、彼はまた私に訊いた。

「この町の人じゃないだろ、あんた?そんな人がこんな所で何してんだ?」

 私の方が年上のはずなのに、彼は敬語を使おうともしなかった。でもその方が、彼の雰囲気には合っているような気がした。

「特に何もしてないわ。この樹が好きだから、ここにいるだけ」

 変な奴だな、とでも言われるかと思ったけど、彼の口からでたのは、もっと簡単な言葉だった。

「ふ〜ん」

「・・・・ふ〜んって、それだけ?」

 呆気にとられて、逆に私は訊いてしまっていた。

「だって、俺と同じだもん」

 それならそれで、何か他の反応の仕方もあったんじゃないかと思ったけど、口には出さなかった。

「よっ、と」

 彼は私の了承を得ることもなく、私の隣に座った。彼にしてみれば、それはごく自然な行動でしかないのだろう。

「あんた、どっから来たの?」

 興味津々といった様子で、彼は訊いてきた。

「トウキョウよ」

 端の方だけどね―と、私は付け足した。

「端の方って言ったって、ここよりは都会だろ?俺、一度行ってみたいんだ。どんな所なんだ?すごく良い所なんだろ?」

 矢継ぎ早に訊いてくる彼の目は、とても輝いている。だけど私には、彼の満足するような答えは見付けられなかった。

「そんなこと全然ないよ・・・・・。あんな所、疲れるだけ」

「何だよ・・・・。そこで何かあったのか?」

 私は、答えなかった。楽しい話じゃないし、彼に言っても、分かってもらえないと思ったからだ。田舎に住む、田舎しか知らない彼には。

 ―少しの沈黙の後、彼が口を開いた。

「あんたには、夢ってないのか?」

「―えっ?」

 突然訊かれて、私は聞き返していた。

「俺はあるぞ。トウキョウに出て、成功するのが夢なんだ。もちろん、ただ成功するためじゃない。成功して、この町をなくさないようにしたいんだ」

「なくさないようにって・・・・?」

 私が訊くと、彼は少し寂しそうな顔をした。

「この町さ、一応『町』なんて言ってるけど、本当は『村』って呼んでもいいぐらいに小さくなってるんだ。若い奴らがどんどん町を出ていって、このままじゃあ、俺の故郷がなくなっちまうかもしれない。それだけは、なんとしても防ぎたいんだ」

「そうなんだ・・・・・。―でも、それと私の夢と、何の関係があるの?」

「わかんないかな・・・・・」

 彼は私の問いに困ったように頭を掻いた。

「―俺は、夢があるから、頑張れるんだ。夢を達成しようとするから、どんな困難も乗り越える自信がある。―あんたには、そんな夢ってないのかい?」

 そう言われて、私はショックを受けた。

 夢について真剣に考えたことが、私は無かった。それに、その為に生きるなんてことも、想像もしなかったことだった。そして、ただ悩み、嘆くことしかせず、あきらめ、活路を見いだそうともしなかった。

 でも彼は、夢を持つだけで、私なんかより先のことを見据え、希望に満ち溢れている。その為なら、少しの努力も惜しまないと思っている。その分、彼は私より、何歳も年上に思えた。

「―私の夢か・・・・・。何だったか、忘れちゃったな」

「また、思い出せばいいさ。なんなら、新しく創ってもいいだろ?」

 彼は笑って言った。―私は彼の笑顔を、眩しいと思った。

「そうよね。私はまだ、若いもんね」

 私は、ブナの樹を見上げた。

「そうさ、君はまだ若い・・・・・」

 彼の声と共に、突然辺りがまばゆい光に包まれ、私は思わず目をつぶった。そして、恐る恐る目を開けたとき―そこに、もう彼はいなかった。

 私はふと、ブナの御神木を見上げた。相変わらず、根を張り、葉を広げて、その樹は堂々と、私の前に立っていた。




   了

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