中学生にとって、朝は地獄だ。学校にいる時間の方がまだましだろう。なぜなら、夜忙しいために、朝起きられなくなる。起きても学校にいかなければならないというので嫌気が差す。そこに睡魔が襲ってくるので、その睡魔に勝つために悪戦苦闘している中学生がほとんどなのだ。
都内では中の上ぐらいのT中に通っている仲村勇太も、その例外ではなかった。
「早く起きないと遅刻するわよ」
という母の声が聞こえる。しかしそんな事は頭ではわかっているのだ。ただ、体が動かないだけ。
――不意に何かが布団の中に潜り込んできた。これが母なら怖い所だが、そうではない。家で飼っている犬のレノ(なんでも母の好きな映画俳優らしい)が起こしにやってくるのだ。レノが布団の中でごそごそやるので、そのうちに勇太も諦めて起きるのだ。
――しかし、その日は何かが違った。妙に大きいのだ。そう、大きさからいくと、ちょうど人間くらいの―人間?―彼はビックリして身体を半分布団から出し、上半身を起こしてそれを見た。
――腕が二本と足が二本。その手足の胴体への付きかたは、まさしく霊長類のそれと相違なかった。さらに、体長はおよそ1.5〜1.7メートルと、彼の母とほぼ一致。よって、彼はその生物を母親だと断定した。
「何やってんだよ母さ―」
と言いかけた彼は、布団の中から出てきた人を見て、絶句した。
どう見ても、その女は若かった(彼の母など比べようがないぐらい)。しかも知っている女だった。いや、知っているなんてもんじゃない。彼のガールフレンド(この場合は日本的な意味で)だったのだ!
仲村勇太のガールフレンドの保本ひかるは、スカートの裾を少し直して、
「おはよう」
と、まるで道端で会ったような口調で言った。勇太は怒ってひかるを怒鳴りつけーはしなかった。
「あ、おはよう」
などとのんきに挨拶までしていたのだ!
しかし、それも致し方ない事かもしれない。勇太とひかるは、一応<付き合ってる>ことになっているが、周りの人から見ると、勇太が下僕のように見えるのだ。勇太がものすごい天然なのでしょうがないのかもしれないが…。
「早く準備して学校行くよ」
とひかるに言われて、
「うん…」
勇太は活動を開始したのだった。
・ 2・
「よお、勇太。朝からアツアツだな」
と言いながらやって来たのは、同じクラス、同じクラブの大谷圭輔だった。
大谷の紹介をまずしておこう。
大谷圭輔は、勇太やひかると同じ3年5組で、明るい性格でクラスのムードメーカーとなっている。しかも、塾にも行かず、家でも勉強をしないのに、テストでは常に高得点を取るので、クラスでも一目置かれた存在でもある。ただ、少しナルシストが入っているのが、玉に傷だが…。
次に、<クラブ>について説明しよう。
勇太と大谷、それとひかるが入っているクラブは、<推理研究同好会>。2年前に出来たばかりで、会員数(と呼ぶのだろうか?)は三名。とまり、勇太と大谷とひかるしかいないのだ。まあ、だからこそ<部>ではなく、<同好会>なのだが…。
会長(と呼ぶと聞こえが良いが)は、大谷となっているが、実際に作られたのは、勇太の強い要望によってだった。だから普通は、勇太が会長になるべきだったのだが、「僕には合わないから」と言って、大谷に譲ったのだ(大谷はかなり喜んでいたが)。顧問は一応担任の平野にやってもらっているが、この先生、シャーロックホームズすら知らないという先生で、始めは大丈夫かと心配もしたが、今では逆に気楽で良くなってしまった。―とまあ、外見はこんな感じである。
「アツアツじゃないよ…」
と、勇太が赤くなって今にも消えそうな声で言った。」
「そうよ、<超アツアツ>なんだから」
ひかるはそう言って、勇太の腕に自分の腕を絡ませた。―勇太の顔がもっと真っ赤になってもお構い無しだ。
そこへ、
「そういう事は学校以外の場所でしてくれ」
と、急に場違いな(?)ハスキーボイスが聞こえた。3人はビックリして(勇太は天然なので少々遅れていたが)声の主を見た。―担任の平野だった。
「ああ、ビックリした。」
と、ひかるが代表して(?)驚いて、「平野先生。何か御用ですか?」
と訊いた。平野は肯いて、
「ああ、社会の加藤幸治先生が、お前らに頼みたい事があるそうなんだ」
昔、合唱団に入っていたという美声で言った。
「加藤先生がですか?」
と、大谷が念を押した。
「そうだ。じゃあ、俺は伝えたからな」
と言って、平野は鼻歌(うまい。しかも賛美歌!)混じりに行ってしまった。
・ 3・
「加藤先生がおれらに用って何だろうな?一応『俺ら』にだから、推研(推理研究同好会の略)に関する事なのだろうけど…。
もう古くなってきた学校の、放課後の薄暗い廊下を歩きながら、大谷が言った。
「そうねえ…。怒られるようなことをした覚えはないし…」
ひかるが言うと、勇太が、
「怒るんだったら、"用がある"なんて言いかたしないと思いますけどなぁ。同じ教師どうしだし」
と口を挟んだ。
「だれも、『怒られる』なんて言ってないでしょ。『怒られるはずがない』って、言ったのよ」
ひかるは少しむきになって、「それに、人に何か伝えてもらう時に、いちいち理由なのか言ってらんないでしょ」
言ってからひかるは、勝った、と思ったが、
「ああ、そうですね」
と素直に言われてしまい、拍子抜けした。
「おい、勇太。素直なのもいいけど、少しは自分の意見に責任持てよな」
と、大谷も忠告したが、
「でも、相手の意見が正しいと思ったら、自分の意見を通そうとする方が、全体から見れば無責任なのではない?」
と言われ、黙ってしまった。―2人とも、勇太の天然にはかなわないのだ。
「―まあいいや。加藤先生に会えばわかる事だろう」
そう言いながら大谷は、職員室のドアを開けた。
大谷に続いてひかると勇太が入る。少し見回しただけで、加藤は見付かった。
側まで行って大谷が言った。
「加藤先生。平野先生に言われて来たんですけど、何か僕らに用があるとか…」
机に向かっていた加藤は振り向いて、待ってましたと言うように、
「いやあ、そうなんだよ。どうしても君達に解いて欲しい『謎』があってね。そいつのせいで、最近は夜も眠れないんだよ」
『謎』という言葉を聞いて、三人の目は俄然輝き出した。
「その『謎』って言うのは?」
と、3人同時に訊いていた。
加藤は3人をそれぞれ見て、
「その前に、絶対誰にも口外しないかい?」
「もちろん!」と言ったのは、一番信用できないひかるだった。
「じゃあ、場所を変えて話そう」
・4・
とある喫茶店―よくある安いがまずいというやつ―は、学校帰りの学生(高校生ぐらいだろう)でほとんどの席が埋まっていた。しかし運良く席が空いたので、『推研』の3人と加藤は一番奥の席に座る事が出来た。
「もちろん、先生のおごりですよね」
と言って、ひかるはすでにメニューを開いている。大谷も、さすがに喫茶店でおごったぐらいで金がないなんて事はないだろうと思い、メニューを見ようとすると、
「あ、ああ。もちろんだ」
と言いながら財布の中を調べている加藤を見て、コーヒーだけを頼んだ。勇太も見ていたのか、コーヒーだった。
「君達もそんなに遠慮することはないんだよ」
と、加藤が大人としての威厳を保つために(内心大谷と勇太に感謝しながら)言った。すると、
「無理しない方がいいですよ、加藤先生」
百花屋(この喫茶店の名前)で一番高い、880円(税込み)のイチゴサンデーを食べながら、ひかるが気を使った。これには、加藤もただ苦笑するしかなかった。
「それじゃあそろそろ、僕らに解いてもらいたい『謎』って言うのを、聞かせて下さい」
<会長>と言う責任感もあってか、大谷が3人を代表して言った。
「ああ、そうだな」
加藤はコーヒーを一口飲んだ。
「実は最近、ストーカーにつけられているみたいなんだ」
今の日本語は、少々正しくない。『つけねらう』という行為を行なう人のことを、<ストーカー>と呼ぶのだから、『ストーカーにつけられる』というのは、意味が重複している。
しかし、そんな事を気にする人は、少なくとも今この場にはいなかった。ミステリー好きの勇太はわくわくして次の言葉を待っているし、大谷とひかるは必死で笑いをこらえていたのだ。何故笑いをこらえていたのかは簡単。どう見てもストーカーと縁のなさそうな―一言で言うとブサイクな―顔だったからだ。
加藤は、笑いをこらえて複雑な顔をしているひかると大谷を見て、―あまりにも複雑な表情だったためか―真剣に聴いているのだと勘違いし、満足げに話を進めた。
「と言っても、おかしな話なんだけどね」
大谷が危うくコーヒーを吹き出しそうになった。―あんたがストーカーに狙われるのが、おかしな話だよ―と、落ち着いてから大谷は思った。
大谷が吹き出しそうになるのも気付かずに、加藤は話している。
「時々、僕の車のアンテナが、朝になるとなくなってるんだよ」
「え、それって、盗まれたって、ことですか?」
さすがにひかるも真剣な顔になっていた。
「そこがおかしな所でね」
加藤は3人を見まわして、「僕も最初は『やられた!』って思ったんだけどね。渋々車に乗って出ようと思ったら、そのアンテナが助手席のシートの上に置いてあったんだよ。さすがにビックリしたね。」
いつもゴキブリくらいでビックリするくせに、とひかるは思ったが、もちろん口には出さなかった。
「どうしてアンテナを取ったのに持ってかなかったんだろう。わざわざ手間をかけて車の中に入れた意味もわからないし」
「そうよ。大谷君の言う通りだわ。ストーカーが自分の存在をアピールしたいのなら、アンテナを置くなんてことするより、手紙でも置いた方が確実だわ」
大谷が溜息をついて、
「とにかく情報が少なすぎる。もっと他にはないんですか?」
と加藤に訊いたが、
「他にねえ…」
と言って黙ってしまった。
「あの」
今まで無言だった勇太が口を開いた。
「それって、どれくらい前からの事なんですか?」
加藤は少し思案するような素振りを見せてから、
「確か、二ヶ月ぐらい前からだと思うよ。―そうそう、ちょうど始業式の日だったから間違いない」
「今年の始業式って言うと、4月6日の月曜日ね」
ひかるが手帳をめくって言った。
「じゃあ、その次に起こったのはいつですか?」
勇太が次の質問をしたが、これは憶えていないらしい。加藤は答えられなかった。
「最近はずっと月曜日だったのは確かだよ。今週もそうだったし、先週はなかったけど先々週もそうだった」
「じゃあ、犯行は日曜日の夜から月曜日の明け方にかけてと考えるのが自然か。今までの分も含めて」
大谷が結論付けると、加藤が口を挟んで、
「なんで曜日を限定できるんだい?」
と訊いてきた。大谷は得意になって、
「だって、先生の話しからすると、少なくとも3回は、月曜日の朝に起きてるわけでしょう?それと、先生は『時々』とも言いました。二ヶ月の間で、『時々』というう言葉をふまえると、大体5、6回程度でしょう。その内3回が月曜日の朝だったんですから、他の日も同様だったと考えるのが妥当でしょう」
加藤はすっかり感心して、「成る程」としきりに頷いていた。
「やはり君達に頼んで、正解だったようだ」
「あれ、そう言えば」
ひかるが声をあげて「先生はなんで私達に頼んだんですか?警察とか探偵社に頼んでも良かったのに」
「んなもん決まってるじゃん。おれが優秀だってのに、先生が気付いたからだよ」
大谷の意見は却下されるでもなく、無視された。
「警察は取り合ってくれませんよ。事件が起きたわけではないですし」
勇太がそう言うと、加藤は急に立ち上がって、
「さ、現場の方を見に行こうか、探偵諸君」
と言って、カウンターの方へ行ってしまった。
「どうしたの?」
わけがわからないという風に、ひかるは勇太に訊いた。
「これは僕の推論なんですけど」
勇太は加藤に聞こえない事を確認して、「きっと僕らに頼んだのは、探偵料が惜しかったからだと思います」
と言った。
・ 5・
問題の車に乗って加藤の家に着いた頃には、もう日は傾き始めていた。
加藤の家は大きな川沿いのマンションで、十一階建て。長方形に近い土地の東側に駐車場、西側に建物があり、北には大きな川、南は住宅地となっていて、川向こうにはマンションやアパートも多いのだが、こちら側にあるマンションはここ一つなので、何か異質な感じがする。
問題の加藤の車は普通のワゴンタイプで、四十二台分ある駐車スペースのちょうど真中あたりに、川が後方になるように、南向きに停められている。アンテナは車体の上部の後方にあり、ねじのように回すと外れる仕掛けになっている。つまり、特別な道具は必要無いと言う事だ。
大谷とひかるは、車の周囲を探ってみた。しかし、今週の月曜日から4日経って今日は金曜日なので、もう何も手掛かりになるような物は残っていなかった。
大谷とひかるは、少し離れた所で見守っていた加藤の所へ行き、現状を報告した。
「今の所、手掛かり無しです。これは思ったより面倒な事件ですよ」
「そうか…」
と、加藤は落胆の色を見せた。
―そう言えば、と、ひかるは思った、―先生の顔、前より少しやつれた気がする。
「あれ、勇太は?」
と、大谷が気付いて言った。
「ああ、仲村ならあそこにいるよ」
加藤はそう言って、駐車場の向かいの、一軒の家の前を指差した。
見ると、勇太が表札を確認して、今まさにインターホンを押そうとしている―いや、押した所だった。
「あいつ、何やってんだ!」
大谷とひかるが駆け出すと、後ろから、
「私は家に居るから、帰る時は送るよ!」
と、加藤が言っているのが聞こえてきた。
「いやあ、仲村の旦那のとこの坊ちゃんが来るなんて、ビックリしましたよ」
薄くなった頭に温和な表情、可愛らしいエプロンをかけた、見るからに人の良さそうなおじさんが、振り返って言った。―さっき勇太がインターホンを押した家は、このおじさんの家らしい。
「おい、勇太。どう言う事か説明しろ」
おじさんが台所に入っていくのを見て、大谷が勇太に小声で言った。
「あの人、僕の父さんの知り合いで、僕も何度か会った事があるんだ」
と、勇太は無邪気な笑顔で言った。
「説明になってないわよ」
と言ってひかるが突っ込みをいれると、おじさんが手にお皿を持って戻ってきた。皿の上にはたいやきがのっている。
「さあできました。どうぞお食べおくんなせい」
「頂きます」
といってひかるはたいやきを口に運ぶと、大抵の男ならコロッといく(と、当人が言っているのだから間違いない)笑顔を見せて、
「美味しいです」
と言ってたいやきを頬ばった。
「おじさんの喋り方って、なんだか一昔前のヤクザみたいですね」
大谷が口の中をたいやきで一杯にしながら言った。
おじさんは笑顔になって、
「まあ、似たような世界にいましたからね。仲村の旦那―この坊っちゃんのお父様にお世話になって、今じゃあたいやき屋をやってますがね」
ひかると大谷は顔を見合わせ、同時にこのおじさんが機関銃をぶっ放している様子を想像していた。
「ねえ、何か変な事想像してない?―まさか、機関銃をぶっ放してるとこなんか想像してないよね?」
「し、してないわよ。なね、ねえ?」
「あ、ああ。してないよ」
――ここまでわかりやすい人が犯人なら、警察も苦労しないだろう。
「それならいいんだけど」
――捜査官がこれではダメだろうが。
「私がやってたのはけちな泥棒でさ。そんな格好良いもんじゃありやせん」
機関銃をぶっ放すのが格好良いかどうかは、取りあえず置いておこう。
「あれ、でも勇太のお父さんにお世話になったって言いましたけど、まさか勇太のお父さんて…」
「そうだよ。よくわかったね」
勇太が無邪気に言うのを聞いて、ひかるは愕然とした。――勇太のお父さんが、裏の世界の人間だったなんて…。しかもそれを知っていて平然としている勇太。ひかるは一瞬、勇太が恐ろしくなった。が、本当に一瞬だった。
「僕の父さんは現職の刑事だよ」
「へ?」
大谷が間の抜けた声を出した。―大谷もひかると同じことを考えていたようだ。
「ヤクザの親分じゃなかったのか?」
――いや、どうやらこちらの方が話しが大きいようだ。
「は?」
今度は勇太が変な声を出す。「――ヤクザって、何のこと?」
「いや、何でもないんだ。気にしないでくれ」
こんな反応をされて、気にしないほうが難しいと思うのだが、勇太はもちろん気にしなかった。
「父さんは<きょうこうはん係>だかっていう所で、主に窃盗を扱ってたんだ。それで、随分前に逮捕したのがこの人だったんだ」
勇太の話しをおじさんが引き継いで、
「そんで、仲村の旦那には本当に良くしてもらって、仕事も駅前でたいやき屋をやれるように、いろいろと手配してもらいまして。―結構味の方は評判良いんですよ」
いつのまにか店のPRをしている。
「おっと、関係ない話ですな。―ところで坊っちゃん。今日は何の御用で?」
おじさんはそう言ってから、思い出したように手をポンと打って、
「そう言えば、自己紹介がまだでしたな。―私は梶田銀八(かじたぎんぱち)と申します」
と、ひかると大谷のほうへ向き直っていった。
「私は保本ひかるです」
「僕は大谷圭輔です」
「はいよ。確かに憶えましたぜ。昔から人の名前を覚えるのは得意なんで」
「それで、さっきの事ですけど」
勇太が言うと、3人がきょとんとする。
「さっきのことって何ですかい?」
「今日ここへ来たわけです」
怒った様子も見せずに(実際怒っていないのだろうが)言った。
梶田は手をポンと打って(この動作が好きなのか)、
「そうでしたな。―で、何の御用で?」
と訊いた。ひかると大谷も、それが知りたかった。
「特に理由はないんですけどね。たまたま近くだったもんですから。現場が。」
梶田はまたきょとんとして、
「現場って何のことです?」
大谷が、説明の下手な勇太に代わって、手短に今度の事件のことを話した。
「へえ、そりゃあ変な事件ですなあ」
そう言う梶田の顔が、心なしか引きつっているように見えた。
じっと、梶田の顔を見ていた勇太が、おもむろに(ただゆっくりなだけだが)、
「娘さんは確か、もう二十歳でしたよね?」
と訊いた。いつもの勇太からは想像もできない声だ。
「ええ…、もうすぐ二十一です…」
なんとも言えない威圧感に、梶田はそれだけしか言えなかった。
「確か恋人もいましたよね?名前は…そう、結城康広(ゆうきやすひろ)って言いましたっけ」
妙に感情のこもってない、静かな声だ。
「ええ…」
梶田の表情が微妙に変化した。
しばしの間沈黙があり、ふと、勇太が笑みを戻して、
「じゃあ、今日はこの辺で帰ります。たいやき、美味しかったです。」
と言って立ち上がった。急でビックリしたが、大谷とひかるも立ちあがって、
「ご馳走様」
と言って、リビングを後にする勇太を追いかけていった。
・ 6・
「いったいどうしたんだ、勇太?」
加藤に送られる車の中で、大谷は勇太に訊いてみた。もちろん、梶田の家での事だ。
勇太は窓の外を見たまま、
「ちょっとね」
とだけ言って黙ってしまった。
大谷はひかるに肩をすくめて見せた。
そのあとは誰も一言もしゃべらず、それぞれ家へと帰った。
ひかるは朝から走っていた。しかし、遅刻だからと言うわけではない。第一、遅刻になりそうな時にあがくのは無駄な事だと思っているひかるである。遅刻程度で走ったりしない。
では、ひかるはなぜ走っているのだろう。
さっきの話を覆すことになるが、遅刻しそうだったからだ。と言っても、勇太の母親との約束の時間に、だが。昨日の"例の"起こし方だと、勇太の寝起きが良いというので、また頼まれたのだ。
「あと3分。ギリギリ間に合うわね」
7時半に、勇太の母親――静子という――が、玄関の戸を開けてくれる事になっているのだ。
――そこの角を曲がれば勇太の家、と思いながら角を走って抜けようとしたその時―
「うわぁ!」
という声と共に、誰かが転んでいた。
ひかるは持ち前の運動神経でひらりとかわしたのだが、相手はバランスを崩してそのまま倒れてしまったのだ。
「あ、ごめんなさい」
ひかるはその人を助け起こそうとして、驚いた。
「あれ、ひかるちゃん、来るの早いね」
そう、起きてるはずのない(!)勇太だったのだ!
「どうしよう。傘もマフラーも持って来てないわ」
「雪なんか降らないよ」
勇太にもひかるの言う意味がわかったようである。
「まだ夏だし」
…本当にわかったのだろうか?
「それにしても、本当によく起きられたわね」
ひかるはかなりマジになって言ったが、勇太の方は、寝起きが良いからなのか、
「ちょっと調べたい事があって」
と笑顔で言った。
「こんな時間に?まだ部活の先生ぐらいしか居ないわよ?」
勇太はさも当たり前という様子で、
「それでいいんだ」
とだけ言った。
こういう時にどれだけ追求しても無駄なことを、ひかるは知っていたので、それ以上何も訊かなかった。代わりに、学校に着くまでは他愛のない話をして歩いた。
学校に着くと勇太は、
「じゃあ、ちょっと行く所あるから」
と言うと、走っていってしまった。
大谷の目は今にも閉じてしまいそうだった。退屈な授業。恐らく半数以上の生徒は、集中などしていないだろう。
黒板の前では、加藤がいかにも体調が優れないといった表情で授業をしている。
大谷が勇太の方に目をやると、勇太は何か必死になってノートをとっていた。しかしおかしい。黒板には何も書かれていないし、加藤の話す内容など、聞く必要もないような物なのに。
―全く、あいつの考える事はわからんぜ、と、心の中で呟くと、授業などそっちのけで今度の事件について考える事にした。
今度の事件の疑問点は三つ。
一つ目は、なぜアンテナを持ち去らず、助手席のシートの上に置いたのかだ。考えられる理由の一つは、ストーカーが自己の存在を知らせるため。しかしそれならば、もっと違う方法もある。ではなぜ、そうしたのか?
疑問点の二つ目は、曜日だ。なぜ月曜日に集中的に集まっているのか?そこに理由はあるのか?
三つ目は、犯人が誰か、である。ストーカーが犯人である証拠はなし。第一、加藤には悪いがあの先生がストーカーに狙われるかがまず疑問だ。ストーカーでなければ、犯人は加藤の知る人物なのか?それは誰なのか?
ふぅっ、と、大谷は溜息をついた。
こんなに情報が少なくては、何もわからない。もう考えるのはやめよう。差し当たっては今日の放課後、加藤からもう一度詳しく話を聞けば良いだろう。
さて、聞く意味のない(と大谷は思っている)授業で、することがなくなったらどうするか?――大谷は数秒後、深い眠りについていた。
――放課後、大谷は勇太とひかるを従えて、職員室へ直行した。
入ってすぐに加藤の机を見たが、もう帰ったのか、鞄がどこにもなかった。
大谷は手近な先生に、加藤の所在を訊いた。
「ああ、加藤先生なら大事な会議でM中に行ってるよ」
まだ新米のその先生に礼を言って、三人は職員室を抜け出した。
「まいったなあ。もう一度詳しく話を聞こうと思ったのに」
「いや、多分その必要はないよ」
出し抜けに勇太が言った。「僕の推理が正しければだけどね」
「ええっ!」
二人して大声を出すので、廊下にいた生徒が一斉に三人を見た。周りの様子など気付かずに、二人は勇太に迫る。
「ど、どういうこと?」
「ん〜、まだ確証がないから」
「なくてもいいから」
さらに迫る二人に、勇太はもったいぶって、
「いや、まだダメだね。でも、今日あるところに行けば多分はっきりすると思うんだ」
「ど、どこに?」
勇太はウインクして(大谷もひかるも初めて見た)、
「現場百辺、だよ」
・ 7・
さて、探偵と言うものは、どんな人物であっても事件となると人が変るものらしい。まあ、この広い世界、例外と言うものも少しは居るかもしれないが。中学生探偵の勇太は、その例外ではなかった。――もっとも、彼を良く知る友人は、絶対に信じないだろうが。
今回の事件も、彼の興味をそそるには充分だった。そして、彼にとっては、百ピースのジグソーパズルをやるのと同じ位簡単なことだった。
で、なぜこうも長々とわけのわからない話をしてきたのかと言うと、作者から、一つ挑戦をしようと言うわけだ。
まだ、完全にピースはそろっていないが、この『7』の中に全てのピースが出揃う。そのピースを組み立てて、この事件の真相を見破ってもらいたい。もしもできたなら、あなたは立派な名探偵になれることだろう。
では、字数稼ぎだと思われても困るので、勇太達の方へ戻ろう。
「おし、着いたぞ。で、何をすれば良いんだ?」
大谷は振り返って訊いた。――加藤のマンションの駐車場である。
勇太は急ぐ様子もなく、
「まず先生の家に行こう」
と言った。
「でも、先生はまだいないわよ?」
「それで良いんだよ」
大谷とひかるは顔を見合わせた。――今日の勇太はすごく変だ――二人の顔がそう言っていた。
「さあ、行こう」
勇太が先にたって歩き出した。こんなことも初めてである。
後ろから付いて行く二人は、
「医者に連れていった方が良いんじゃ…」
などと、かなり真剣に話していた。
加藤の家は、立派とは言えないまでも、全体にバランスが良く、綺麗にまとまっていた。しかし、奥さんの趣味か、少々可愛い様でもある。
加藤の妻は千代子と言って、年は加藤と同じく三十、顔立ちは端整で美しく、加藤には勿体無いくらいだった。そして、顔と同じく均整の取れたスタイル。女のひかるでさえ、一瞬目を奪われてしまった。
千代子は、突然の来訪者を快く中へ入れてくれた。
「そうだわ、スコーンは好きかしら?ちょうど作り過ぎてしまったのがあるの。どうかしら?」
三人は遠慮なく頂くことにした。
「それで、今日は何の御用でいらしたのかしら・」
「えっとですね…」
と言って、大谷が手短に加藤から受けた依頼の話をした。
「そのことなら、私も聞いたわ。何だか、気味が悪いわよね」
千代子はそう言って顔を曇らせた。
すると、今まで黙ってスコーンを食べていた勇太が、
「加藤先生――ご主人は、日曜日に家にいますか?」
と訊いた。
「いいえ、最近は仕事が忙しいみたいで、居ることはほとんどないわ」
と、千代子はすぐに答えた。
「それがどうかしたの?」
「いえ、特には…」
勇太は曖昧に笑って誤魔化した。
「えっと…。それじゃあ、そろそろお邪魔します」
と、勇太は立ち上がった。それを見て、イチゴジャムをたっぷりとつけたスコーンを食べていたひかるがむせた。
「もうちょっと居てらしたら良いのに」
千代子がそう言ってくれるが、
「いえ、ちょっと他にも行かなきゃいけない所があるんで」
と、勇太も譲らなかった。
「スコーン、美味しかったです。ご馳走様でした」
足早に玄関へ向かう勇太を追って、
「ご馳走様でした」
と、大谷とひかるもリビングを辞した。
ひかると大谷が、玄関を出てエレベーター前の勇太に追いついた時、勇太の顔には、いつもはない自信に溢れていた。
「おい、勇太。他に行く所って、何処なんだ?」
外に出たところで、大谷が訊くと、
「人騒がせなタイヤキ屋さん」
と、微笑んで言った。
「タイヤキ屋さんって、昨日のおじさんのこと?」
ひかるは訊きながら、少し涎を垂らしていた。昨日のたい焼きのことでも考えているのだろう。
「うん、だからこれから、駅前に直行!」
言うが早いが、勇太は走り出していた。
バスを降りればもう駅前だ。
東京都内と言えど、ここは随分外れの方。駅前もそんなに大きくはない。そんな所でタイヤキ屋を探すのは、造作もなかった。
タイヤキ屋の前では、羽を生やした女の子が、たい焼きを買っていた。
――羽?
いや、よく見れば、彼女が背負ったリュックに付いているだけの様だ。
女の子はたい焼きを受け取ると、とても嬉しそうに商店街の方へと走っていった。
「おじさん、たい焼き三つ」
勇太の声に、梶田は一瞬驚いた様子だったが、すぐに営業用の顔に戻って、
「あいよ」
と、たい焼きを作り始めた。
「二、三、伺いたいことがあるんですけど、良いですか?」
勇太が、たい焼きを作る様子を眺めながら訊いた。
「――何でしょうかね?」
梶田は作っているたい焼きから目を離さずに言った。
「娘さん――えっと、幸子さんでしたっけ?――日曜日には、家にいるんですか?」
「いえ、最近はバイトが忙しいとか言って、家にはいませんよ」
「そうですか」
勇太は、答えをある程度予期していた様だ。
「――幸子さん、最近妙にお金の回りがいいようなことは?」
一瞬、梶田の手が止まった。
「――そうですね、最近は…。バイト頑張っている様ですから」
二人のやり取りには、どこか重い空気が漂っていて、大谷とひかるはそこに入れずにいた。
「――あの二階の望遠鏡は、最近買ったものですよね?」
梶田が、驚いて顔を上げる。
「どうしてそれを…」
大谷とひかるはそれ以前の疑問だった。
勇太はあの家の二階には上がっていないはずだ。それなのになぜ、二階に望遠鏡があることを知っていたのか?
「たまたまなんですけどね」
勇太は微笑んで、「僕、あの駐車場を調べる時に、ちょっと横の塀に登ったんですよ。そうしたら、ちょうど車のアンテナの辺りに目線がきましてね。その時に辺りを見回してみたら、二階に望遠鏡があるのが見えて。確かあれ、最近発売された、最新モデルですよね?」
全く、拍子抜けである。
もっととんでもない推理でも飛び出すかと思えば、要するに、見えただけ。――まあ、そこが勇太らしい所でもあるが。
「あ、そうだ。それからもう一つ」
勇太が思い出した様に言った。
「確かおじさんの家から見える、川向のアパートって、幸子さんの彼氏が住んでるんでしたよね?」
梶田の顔が、心なしか蒼くなった。
「え、ええ、そうですよ」
努めて平静さを保とうとしているのがわかる。
勇太はそれを聞くと大きく肯いて、
「ピースは揃った」
と呟いた。
梶田が、出来あがったたい焼きを三人に渡す。
勇太はそれを受け取ってから言った。
「それじゃあ、謎解きをしましょうか」
・8・
「謎解きって、何のことですかい?」
梶田は、明らかに動揺している。
「もちろん、今回の事件ですよ」
タイヤキを頬張ったまま、勇太は答えた。
「単刀直入に言いましょう。犯人はあなたですね、梶田さん」
勇太は、『おじさん』とは呼ばずに『梶田さん』と呼んだ。
「何で、私が犯人なんです?」
平静さを装おうとしているが、声が僅かに震えている。
「証拠は無いんですけどね」
そう前置きしてから、勇太は自分の推理を話した。「――まず、動機からいきましょう。何故犯人はアンテナを持っていかなかったのか?アンテナが欲しかったわけじゃないから。じゃあ、何で外したのか?――こう、考えることが出来ると思います。アンテナが邪魔だったから。だから、車の屋根の上にあるアンテナを外し、わざわざ車の中に置いたんだ」
「邪魔?」
大谷とひかるが同時に訊く。梶田は、黙ったままだ。
「そう、邪魔だったんだ。ある場所を監視していて、視界に入って邪魔だったから取り外したんだ」
「でも、それ変だよ」
ひかるが口を挟んだ。「だって、いくらなんでもあんなに細いもの、何処を監視するにもそんなに邪魔にならないよ」
勇太は、ひかるの方を向いて人差し指を立て、
「一つ、可能性があるよ。超高倍率の望遠鏡を使った場合、十分邪魔になりうる」
「望遠鏡?」
ひかるは首を傾げた。大谷も、腕を組んで考え込んでいる。
「そう、望遠鏡なら、遠くに視点を合わせるに従って、視野が狭くなる。つまり――」
「かなり遠くを見れば、細いアンテナも十分邪魔だって事か!」
大谷がポンと手を打って、後を引き継いだ。
「あ、なるほど」
ひかるも、納得顔で肯いた。
「でも、一体何を見るんだよ?駐車場の先には川しか・・・・」
大谷はそこまで言いかけて息を呑んだ。
「アパートか!」
「え?――アパートって・・・・・、ああ、あの――」
遅れてひかるも気付いたようだ。
「そう、梶田さんの娘、幸子さんの恋人、結城康広さんが住んでいるアパートを監視していたんだ。調度、梶田さんの家の二階からだと、何の邪魔も無くあのアパートが見えるからね。そして、梶田さんの家の二階と、康弘さんが住んでいるアパートの一室とを結ぶ直線上に、アンテナが入ってしまったんだ。望遠鏡を実際に使ったことがあれば分かると思うけど、見たい物の所に上手く合わせるのって難しいんだよね。梶田さんにとってはアンテナを外してしまい、昔の経験を使って車の鍵を開けてしまうほうが楽だった。だから、今度の事件が起こったんだ」
「あれ、でもおかしいよそれ。一回や二回なら、偶然アンテナが邪魔になってもおかしくないけど、四回も五回も同じ事が起こるとは思えないよ。それに、月曜だけってのも変だし・・・」
ひかるの問いに、勇太は笑って、
「ああ、それね。そこがこの事件の面倒なとこでね、僕もちょっと悩んだんだけど、それきっと、この話を聞いた誰かがやったいたずらだと思うよ」
「ふ〜ん・・・」
と、ひかるはどこか判然としない様子だったが、勇太は構わずに続けた。
「だから、梶田さんが実際にやったのは多分二回。それも、最初は月曜日で、あとは他の曜日だったと思うよ。その後のは、今言ったように誰かのいたずらだよ。きっと、同じ曜日に起こるほうが気持ち悪いだろうって考えたんだと思う。犯人までは、僕には分からないな」
そして、勇太は梶田のほうに向き直った。
「この事件の動機は、娘さんですね?」
「・・・・坊ちゃんは、もう何もかも分かってるんですね」
今までずっと、沈黙を守ってきた梶田が、重い口を開いた。
「そうです、娘のためにやってたんです。いくら、娘と結城が付き合うのを認めていたとは言っても、やはり心配ですからね。娘が夜何処かに泊まったり、遅く帰ってくる日には、あの部屋をずっと見ていました。もしもあの部屋に娘が現れ、何かされそうになったら、怒鳴り込んでやるつもりでしたよ。結局、そんなことはありませんでしたがね。――お恥ずかしい限りですよ。娘の為とは言え、人様に迷惑は掛けないと、仲村の旦那に誓ったはずなんですがね」
梶田は、薄くなり始めている頭を掻いていた。
「さて」
大谷が、口を開いた。「事件も解決したことだし、依頼人に一報入れに行こうぜ」
すると、勇太が声を上げた。
「待って。確かに解決はしたけど、下手に先生には話さないほうが良いと思うんだ。何と言っても、近くに住んでるしさ」
大谷はしばらく下を向いて考えていたが、顔を上げると、
「そうだな、そうするか。どうせ金をケチって俺らに頼んできたんだし、別に文句も言わないだろう」
それにひかるも肯いて、
「そうね、イチゴサンデー奢って貰ったけど、大した事ないしね」
と言った。
「それじゃあ僕らは、何も分からなかったって事で良いよね?」
勇太が二人の顔を交互に見た。
「OK!」
「うん!」
と、大谷もひかるも大きく肯いた。
「どうも、ありがとうございます・・・」
梶田は、目に薄っすらと涙まで浮かべながら言った。
「やめてくださいよおじさん。別にそんな悪いことを見逃すわけでもないですし」
大谷があわてて言うと、ひかるも続いて、
「そうですよ、おじさん。ほら、お客さん来ましたよ」
と、視線を促した。
見ると、さっきもタイヤキを買っていった羽の少女だった。
それを見た瞬間、おじさんの顔も、営業用の顔に戻っていた。
3人は顔を見合わせて肯き合い、静かにその場を離れていった。
「へい、いらっしゃい。粒あんとこしあん、どっちにします?」
「さっきはこしあんだったから、今度は粒あん2個!」
おじさんと少女のやり取りが、微かに聞こえてきた――。
・9・
勇太はエレベーターを降りると、目当ての場所へと歩き出した。
どこか思いつめたような表情で、足元に目を落としたまま歩いていく。そして、ある部屋の前で足を止めた。
『加藤 幸治・千代子』
ドアのすぐ横のプレートに目をやり、それからしばし考え込んでいたが、やがて意を決して、呼び出しのインターホンを押した。
――ピンポーン
押すと同時に電子音が響く。それから少しして、<相手>から返答があった。
「はい、どちら様でしょう?」
「仲村勇太です」
一瞬、<相手>は黙ったが、すぐに、
「どうぞ」
と言う声とともにドアが開いた。
「お邪魔します」
と、一言だけ言って、勇太は家の中へと入っていった。
居間のソファーに勇太が座ると同時に、<相手>――千代子が、
「今日は他の二人はいないのね」
と言った。
「えぇ、ちょっとあの二人には居て欲しくなかったんで」
勇太はそれだけ言うと、千代子を真っ直ぐに見た。
沈黙――。
勇太は口を開こうとはしないし、その勇太の様子に千代子も何を言ってよいか考えあぐねているようだった。
二分ほど経っただろうか?千代子が、口を開いた。
「今日は、何をしに来たの?」
勇太は、少し間を空けてから、
「ストーカーに会いに来ました」
と答えた。
「フフフ・・・、あなたって、面白いこと言うのね」
と、千代子は本気にしていない様子だ。
「僕は至って真剣ですけどね」
勇太は表情を変えずに言った。
勇太の表情に少し戸惑いながらも、千代子はまだ微笑を崩さなかった。
「で、そのストーカーは何処にいるのかしら?まさか、私のこととか?」
「そうです。」
勇太は、口だけ動かして答えた。
千代子も、あくまでも真剣な表情の勇太に、流石に微笑んでもいられなくなっていた。
「――まぁ、僕が今言っている『ストーカー』は、今度の事件――アンテナが助手席に置かれるという奇妙な事件の、犯人という意味ですけどね」
「・・・どうして、私がストーカーなの?」
勇太の、中学生とは思えない大人びた口調に、千代子は気圧され気味に訊いた。
「順番に話していきましょう」
勇太は一度、自分の足元へと目をやった。
「――まず、僕が妙に思ったのは、最近は必ず月曜日だったって事です。ただのいたずらであれば、全然別の日にやったって構わないのに、なんで同じ曜日を選んだんでしょう?何かその曜日でなければならない理由があったから?だとすれば、それは犯人の都合なのか、加藤先生の何かに関係があるのか・・・・?――犯人の都合、というのは、ちょっと考えられなかったので、僕は加藤先生のしていることで、何か関係ありそうなことはないかなと調べたんです。そうしたら、怪しい行動が浮かび上がりました。加藤先生の日曜日の行動です」
「あの人の、日曜日の・・・・・?」
分からない、といった顔の中に、動揺が見え隠れしていた。
「そうです。――最初に千代子さんに会ったとき、僕は訊きましたよね?『加藤先生は日曜日に家にいますか?』って。その時の、千代子さんの答えは『NO』だった。『仕事が忙しいみたいだ』とも言ってましたね。それじゃあと思って、今度は学校で、日曜日にも部活で来ている先生方に、加藤先生が日曜日に学校に来ているか、訊いてみたんです。そうしたら、答えは『NO』。じゃあ、加藤先生は日曜日に何をしているんでしょうか?すぐには分かりませんでしたが、とにかく、その日の行動が、関係しているらしいことが分かりました。――じゃあ、その日の行動が関係していそうな人は誰か・・・?――まず、先生がその日に誰かに会っていたのなら、その人ということが考えられます。でも、その人が犯行するのは、難しいでしょう。車の鍵は、最近は結構精巧に出来てますから、素人ではまず開けられません。千代子さんが真似した、最初に事件を起こした人は、鍵が開けられる腕の持ち主だったから出来ましたけど、そんな特技を持っている人はそうはいません。では、誰が、どうやって開けたのか・・・・・?そう考えたら、2人候補が上がりました。1人は、加藤先生本人です」
「うちの人が・・・?」
千代子が驚いた顔で訊き返す。
「あくまで可能性です。でも、それにしては本当にやつれ過ぎている。あのままでは、命だって危ないかもしれない。それに、そんな人騒がせなことをする理由がない。加藤先生は消えました。残る一人は――」
勇太は人差し指を立て、それを自分の目の前の人物へと倒した。
「千代子さん、あなたです」
千代子は固い表情で、黙って勇太を見つめ返していた。
「千代子さんなら、車の鍵を持ち出して、アンテナを助手席に置いておくことは可能だ。それに、加藤先生が日曜日に学校には行っていなかったことも、簡単に調べられる。そして、日曜日の加藤先生の行動を調べることだって出来る。千代子さんしかいないんです」
「――あなたは、うちの人が日曜日に何をしていたのか分かっているの?」
表情は崩さず、目は、少し悲しみを湛(たた)えていた。
「正確には分かりませんが、大体合ってると思います」
「聞かせてもらえる?」
「はい、もちろん。――実はこの間、加藤先生に喫茶店でご馳走になったんです。でも、先生は何だかお金に困っている風でした。それに、お金に困っていなければ、探偵ごっこ程度のことしかしていない僕らに頼まずに、もっとちゃんとした興信所とかに頼んだって良いはずです。興信所は、お金さえ払えばほとんどのことをしてくれますからね。だから、僕はてっきり『加藤先生の家はお金に困っているのかな』って、思っちゃったんです。でも、この家に来て見れば、そんな様子は少しもない。意地を張って豪華に見せようともしていないから、全然お金には困っていない。じゃあなんで、加藤先生はお金に困っていたのか?――僕は、1つ仮説を立ててみたんです。加藤先生には恋人がいるんじゃないか。そして、日曜日にその恋人と会ってるんじゃないか。その恋人のためにお金を使っているのではないか、って。それなら、妻である千代子さんが事件を起こした訳も納得がいくし、日曜日の夜に起こっていたことも肯けますからね」
「あなたって凄い子ね、ホント」
千代子の顔が、幾らか和らいだ。「最初に会った時からうすうす感じてたけどね。――それで、どうするの?この事をあの人に話すの?」
勇太も緊張を緩めて、
「いえ、止めときます。やっぱり先生も悪いですしね。でも、事件はもう起こさないでくれますか?社会の授業がろくなもんじゃなくなってて」
実感がこもっていたせいか、千代子は声をあげて笑った。
「フフフ、分かったわ。もう止めましょう。――でも、そうすると、離婚も考えなくっちゃね」
と、後のほうは呟くように言った。
「その必要はないですよ」
と、勇太は言った。
「先生が会っている人は恋人持ちですし、先生が一方的に言い寄ってるだけらしいです」
「まぁ、何で分かるの?」
「その、加藤先生が会ってる人は、たまたま僕の知り合いだったんで、訊いてみたんです。そうしたら、いつも何かしらのプレゼントを持ってしつこく言い寄ってくるって言ってました。その知り合いも、プレゼントをもらうのは拒まなかったので、加藤先生も脈があると勘違いして、いまだに言い寄ってたみたいですよ」
すると、千代子は起こったような顔で、
「あの人ったら、自分の顔がかっこいいとでも思ってるのかしら?」
確かに、本当のことを言っているのだが、流石に勇太も苦笑いするに留めた。
「――だから、ちょっときつくお灸でも据えておけば、また元通りになれますよ。結局加藤先生も、本命は千代子さんでしょうし」
勇太はニヤリと笑った。
「まぁ」
千代子の顔が、みるみる赤くなっていった。
――こうして、事件は一応の解決をみた。
それぞれに知らない部分も多いが、それはその方が良いと思って、勇太が仕向けたことだった。
――加藤と千代子は、千代子にこっぴどく灸を据えられ、もうしないと加藤が誓い、また今まで通りの生活をしていた。
加藤は今回の事件の真相を何一つ知らないが、もう事件は起こらなくなったと、勇太が告げたため、何も疑問に思うことなく、勇太に礼を言って、みるみるうちに血色も良くなっていった。――根が短絡的なのだろう。
それから、加藤がいろいろと貢いでいた勇太の『知り合い』は、梶田の娘の幸子で、短絡的な加藤が、朝たまたま見かけた幸子のことを一目惚れし、言い寄っていたらしい。幸子としても、言い寄られるのは嫌だったが、貢いで貰うことにある種の快感を味わってしまったのだ。
――とても奇妙なストーカー騒ぎは、一人の少年(青年?)の活躍によって最高の解決となった。
しかし、そのことを知る人は少ないし、ほとんどの人は信じないだろう。
昼休みに机で寝ている彼の寝顔を見たら、誰も――。
・・・・・・・・後書き・・・・・・・・
どうも、作者のハレルヤです。
ようやっと、完結いたしました。何でこんなに長くかかったのか、自分でも不思議なくらいです。
え?お前が不精な性格だからだろうって?いや、全くその通り(笑
え〜っと、追記でもしておきますかね。
この小説は、実話を元に、ハレルヤが勝手な解釈をして書き上げたものです。
元は、アンテナが失くなっちゃう話だったかと思います。
僕の中学時代の社会の先生に起こった事件なんですが、真相は不明です。
でも、その先生は結構顔は良かったですよ。
性格が・・・・でしたけど(自主規制)。
そうそう、これに出てくる『推研』のメンバーは、今後も何度か登場してもらう予定です。
メールマガジンのほうでは、もう登場しています。その内に、HPへもUPするでしょう。
さて、あとは連載中なのは『週末・・・』と、『何でも屋』だけですね。
これが終わるまでは、当分新しい連載物は作らない予定。
気分しだいでいくらでも変わりますが・・・(苦笑
では、この辺で・・・。