「―ねぇ、あなたには、『夢』ってある?」
土曜日の昼下がり。週休二日制になり、暇を持て余していた俺は、特にこれと言った理由もなく、近くにある海辺の公園へとやって来ていた。
公園には、俺と同じように暇が出来、その時間を愛の語らいに使っているカップルが多数。隣に誰もいない自分が、少し浮いているようだ。
ともかく、何も理由なく来たわけだから、当然何もすることもしたいこともなく、ただボーっと、波の上で羽を休めているユリカモメを眺めていた。きっとはたから見たら、恋人に振られた男という風に見えていることだろう。ここが橋の上だったら、俺のことを自殺志願者と間違えて、誰かが止めに来たかもしれない。
そんな顔をしているだろうと自分でも分かるくらい、とにかく無気力だった。
別に、特別な理由があるわけではない。テストの点だって、まだ返ってきてもいないのだから分かるはずがないし、それに、良い点数ではないことは先刻承知の上。そのせいで無気力になるような性格でもなかった。ただ、一つ理由があるとしたら、未来に失望したこと。―と言っても、大それたことじゃない。簡単に言えば、俺の年代の人によくある、『現実を知った』という、ただそれだけのことだ。ただ、そのお陰で、今こうしてたいして面白くもない気持ちでいると思うと、少し腹が立つような気がした。
―30分ぐらい、海を眺めるともなく眺めていた。すると、俺の腹が悲鳴を上げ始めた。俺は何か食べようと思い、近くにあるファーストフード店を頭の中にピックアップしながら、回れ右をした。
「―ねぇ、あなたには、『夢』ってある?」
俺は一瞬、空耳でも聞こえたのかと思った。しかし、それはおかしい。いやにハッキリと聞こえていたし、まだ俺はボケちゃいない。だが、姿が見えないのだ。『声はすれども姿は見えず』、まさに、あの状態なのだ。
「・・・・・・・・・?」
誰かが、俺に向かって話しかけたはずなのだが・・・・・・。
左右を見回してみても、周囲にそれらしき人はいない。いると言えば、イチャイチャするカップルと、それをおかずに昼食を食べている昼休みのOLだけだ。
「ねぇ!」
と、突然さっきと同じ声が下から聞こえた。聞こえたと言うより、むしろ聞かされたと言うほうが近いかもしれない。それほど大きな声で、しかも近くからの声だった。つまり、真下だ。
俺はその怒ったような声に少し驚いて下に目をやった。
「・・・・・・・・・小学生がこんな所で何やってんだ?学校はどうした?」
そこにいたのは、背が低く、童顔の女の子だった。いや、歳相応の顔なら童顔とは呼ばないか。
とにかく、女の子の背がとても低かったので、俺の視界に入らなかっただけだったのだ。からくりが分かれば、何のことはなかった。
―俺の言葉に、女の子の顔が見る見る赤くなっていった。
「・・・・・・・・ん、どうした?」
りんご並に真っ赤になって、しかしそれでいて照れているのとは違った表情をしている少女に訊いてやった。すると、女の子は突然大きな声で、
「私は小学生じゃないわよ!」
と、抗議してきた。
俺だってそんなにやな奴じゃないし、本当に分からなかったのだ。しょうがないじゃないかと思いながらも、
「えっ、中学生だったのか?ごめんごめん」
と、謝罪の念をこめて言った。
だが、女の子の表情にはあまり変化はなかった。変わったことと言えば、ほっぺたが膨らみ、丸みが増したことぐらいだ。何にせよ、あまり状況は良くないどころか、なぜか悪化してしまっていたらしい。その理由は、次の彼女の言葉で驚愕の事実と共にわかった。
「私は高校一年生よっっ!!」
―一瞬の沈黙。
両手を肩の横まで持っていき、手のひらを天に向けて止める。そして、肩をすくめながら左斜め下を向いてため息。そのまま、俺はその場を立ち去ることにする。
「ちょっと、待ちなさいよっ!」
制止の声も構わず、公園の出口へと向かって真っ直ぐに歩いていく。
「待ちなさいってば!」
と、公園の出口まであと少しという所で、腕を掴まれた。
「何だよ、俺は忙しいんだ。ガキのいたずらに構っている暇なんてないんだよ」
実際、これから昼飯の予定だったし、まんざら嘘でもないだろう。
だが、女の子は余計に傷ついたらしく、
「ホントのホントに高校一年生なのっ!―ほらっ、これが証拠よ」
と、俺の目の前に何かを突きつけてきた。
「・・・・・近すぎて見えない」
俺は自分の鼻先に密着しているそれを引っぺがして、疑いながら見た。
「何々・・・・・、『私立夢の島学園高等部。―下記の者は、本学園高等部の生徒であることを証する・・・・・。高乃宮・由芽(たかのみや・ゆめ)』・・・・・・・」
「どう、これで信じてくれた?」
自慢げに胸を張る目の前の女の子と、生徒手帳に写る女の子とを見比べる。
写真の女の子と今目の前にいる女の子。写真の子は緊張してかこわばり気味であるのと、制服を着ているところ以外は何一つ違いはないと言っていい。
「・・・・・・冗談きついぜ」
「・・・・まだ信じないの?」
と、彼女―由芽は怒気を含めた声で脅すように言ってきた。
もちろん、小学生に間違えてしまうような童顔で怒っても、全く怖くなどないのだが、俺も流石に、信じる他はなかった。
「わかった、信じるよ」
「本当に?」
信じ切れない、そ、顔で言ってくる。
「あぁ。―お詫びに、何か奢ろう」
俺は、いつもならば「守銭奴」と呼ばれるほどに金にうるさいのだが、今日は、どういう風の吹き回しかと、自分でも思うほどに気前が良かった。
「えっ、ホントにっ!?」
とたんに、彼女の顔に花が咲いた。
「ただし、ハンバーガーな」
そうでないと、俺の財布が空気のように軽くなってしまう。
それでも彼女は喜んで、
「うんっ!」
と応えてくれた。
―やっぱり、小学生の間違いじゃないか?
半ば本気で、そう思った。
外で食べよう、という彼女の提案で、俺たちはテイクアウトしたハンバーガーを頬張りながら、さっきいた公園へと戻ってきていた。
「おいし〜♪」
売価80円のハンバーガーに、由芽は至福のひと時を感じているようだ。
「安上がりだな、お前」
と言ってやったが、由芽は食べることに夢中で気付かなかった。
「こんなもん、原価は50円ぐらいだろうに・・・・・」
等と言いながらも、俺もしっかりと食べていた。
「ねぇ、そう言えば、あなたの名前は?」
いつの間にか、天国から戻っていたらしい。俺の買ってきた2個目のハンバーガーに、チラチラと目をやりながら訊いてきた。
「俺か?」
俺は残り一欠けらのハンバーガーを口に放り込んで飲み込み、
「沢井和真だ」
と答えて、二個目のハンバーガーに手を伸ばした。
「あっ・・・・・」
と、小さく由芽が叫んだ。
「・・・・・・・・・・・・」
これじゃあ、俺に食べるなと言っているようなもんだ。
「・・・・・ったく、しょうがねぇなぁ・・・・・」
と、俺はハンバーガーを半分に割って、片方を由芽に渡してやった。
「えっ、いいの?」
「変なところで遠慮すんなよ」
と、俺は苦笑した。
「ところで―」
と、俺は言いかけて、やめた。由芽はもう既に、半分のハンバーガーをくわえて、うっとり顔になっていたからだ。
―遠慮すんなとは言ったが、礼も言わずに食べるとはな。
俺はまた苦笑した。
「―なぁ、さっき言ってた、『俺の夢』がどうの・・・ってのは、何だったんだ?」
全部食べ終わった頃を見計らって、ずっと思っていた疑問を投げてみた。
「え?―え〜っと・・・・・・。あ、あれか!」
・・・・・忘れてたのかよ。
由芽は俺の方に姿勢を正した。
「ねぇ、あなたには、『夢』ってある?」
「・・・・『夢』・・・・・?―寝れば見るけど?」
俺がそう言うと、由芽は呆れたように肩をすくめて、
「あ〜、もう。その『夢』じゃなくって、将来の『夢』よ!」
「将来の夢ね・・・・・・」
俺は考えて、
「今は、特に無いかな」
と答えた。
「えっ、無いの!?」
とても驚いた様子で、由芽は訊き返してきた。
「あぁ、特になりたい職業があるわけでも、やりたいことがあるわけでもないしな」
「でも、好きなことはあるでしょう?」
困惑した顔で由芽は訊いてくる。
「まぁ、一応はな。前はバスケにはまってたし、今も好きだよ」
「じゃあ、それでプロを目指すとか、そういう夢は無いの?」
真剣な表情で訊いてくる、こいつの気持ちがどうにもわからない。
「そんなの、無理に決まってるじゃん。日本にプロバスケはないし、NBAなんて、夢のまた夢さ」
「でも、でも・・・・・・」
と、由芽はまだ食い下がろうとした。
「じゃあさ、お前の『夢』って、何なんだ?」
俺は逆に訊いてみた。
「私の『夢』?」
「そう、お前の『夢』」
「私の夢は、お菓子屋さんになること」
由芽の表情が、心なしか安らいだ。
「お菓子屋さんになって、いろんなお菓子を作って、それをたくさんの人に食べてもらうの。そして、そのお菓子で、一人でも多くの人に『幸せ』が届くと良いなって、そう思ってるの」
その言葉に、俺は自分とこいつとの大きな違いがあることに気付いた。
由芽は、まるっきり子供と同じだった。顔も、身体も、中身も、年齢以外は全部。そして、『夢』もまた、子供が持つそれと同じ。悪く言えば空想となんらかわりのない、浅はかな考え。でも、それでも、『夢』見ているときは目が輝き、その為に何処へでもいける信念を持っている。その為の努力は惜しまないし、きっと叶うと信じている。
それに比べて、俺はどうだろう?「夢がない」とか言っているけど、本当はあるんじゃないのか?バスケをずっとしていたいと思ってるんじゃないのか?努力するのがいやで、逃げているんじゃないのか?「夢なんて、大人が持つものじゃない」と、勝手に決め付けてやいなかったか?そしていつしか、『夢』を否定していたんじゃないか?
数秒の自問。
その間、俺には由芽の目を真っ直ぐに見ることは出来なかった。
眩しすぎたから。
輝かしかったから。
そして、羨ましかったから・・・・・・・。
「―まるっきり、ガキの夢だな」
自問の先に、微かに光が見えたとき、俺はやっとの思いで、そう誤魔化した。
「フンッだ。悪かったわね、ガキの夢で!」
と、由芽は口を尖らせた。
「でも、夢があるだけ、俺よりマシか・・・・・・」
由芽には聞こえないように呟くと、俺はふっと笑った。
「な、何よ、急に笑ったりして・・・・。気持ち悪いじゃない」
俺は由芽の言葉は無視して、
「バスケ、もっかいやってみよっかな・・・・?」
と、空に飛び立ったゆりかもめを見上げた―。
了